声明文・2  by MoCCi

“仲間と、雑草抜きと、隠れた花について”

 

 

魚突きに燃える人の中にはいろんな人がいて、

『真剣な魚突きに仲間は不要、むしろ邪魔』 という人もいる。

 

 

あなたはどう思うだろうか。

 

仲間がいるということは、ポイントの選び方、ペース配分、機動力などの点で、

時として譲歩しなければならない事になるだろう。

お互いに安全を見守ることも負担と感じることもあるかもしれない。

 

単独突行は、確かにそういう事とは無縁だ。

“自分の行きたいように” “やりたいように”出来る。

 

それは、理想なのだろうか。

 

 

確かにそのように感じる時もあるだろう。

 

特に、ひとかどの突き師ともなればなおさらのこと。

 

 

しかし、私はことさらに『そうではない』と感じてしまう。

 

 

時に邪魔だと思えるものこそ、むしろ事の大切な本質なのだと。

 

 

 

 

私は、庭師である。

職業柄、よく草をむしる。

 

プチプチ。  ぶち。  

 

 

同僚と一緒に草をむしっていると、こういう言葉を聞くことがある。

『 なぁんだよ~! こんなとこにこんなもん植えちゃって・・・ ウゼェなぁ・・・ 』

 

雑草の間に家の人が植えた花があったりすると、これが非常に面倒くさいのである。

 

その花が抜けてしまわないように、葉っぱを傷つけないように、

神経を使って周りの雑草を抜いていかないといけない。

 

これを職人は結構嫌がるのである。 笑

 

余計なものが植わっていないと、ただただ一目散に草をブチブチむしっていけばいいからね。 

 

手間がぜんぜん違うんです。

 

 

私は、しかしこれが嫌だと思ったことが無い。

 

むしろ好きなくらいだ。

 

 

埋もれていた花が、草を抜くことによって綺麗に現れてくる時なんかは、感動ものだ。

 

 

 

※ アヤメ

 

例え手間はかかっても、時には邪魔だなぁと思っても、それを気遣うことに意味がある。

 

もし手間を惜しんで、花も雑草と一緒に抜けば、面倒はないかもしれない。

 

 

でも、それになんの意味があるだろう。

 

 

ただの何もない地面が出てくるだけだ。

 

 

 

雑草とりだって、魚突きだって、同じだ。

 

人生だって同じだ。

 

 

ただ抜けばいいってもんじゃない。

 

ただ捕ってくればいいってもんじゃない。

 

 

少なくとも、“俺にとっては”そんなもんじゃない。

 

 

花があるから、綺麗にするんだ。

 

 

仲間がいるから、家族がいるから、魚を捕ってきたら嬉しいんだ。

 

デカイ魚を捕ってきたら、誇らしいんだ。

 

 

仲間がいて初めて、意味があるんだ。

 

 

俺にとっては、そうなんだ。

海豹旅団